弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

心地よくボクだけが存在する。

イメージ pixabay

 

Episode 018
読者の一人に
2020年3月にFBであげた小説の
続きを読みたいと言われました

いつものことながら
途中で終わってますからね
最後の結末を知りたいとおっしゃって…

実は、この小説には前振りが合って
2008年に書いているんです

それでこの際だから、
この小説を完結しようと
再度挑戦することにしました

今後は、週一くらいのペースで
アップしていきます

お時間の許す限り
ご自由にお読みください

 
不定期恋愛小説「K・陽子」vol.1

 出会い
木屋町通り六角西入る)
Barでその日の仕込みをしながら、店に来るはずの陽子を待っていた。開店前のぼんやりと仄暗い室内、壁には若者ウケしているロック歌手のポスター、カウンターの中の棚には100種類以上のアルコールの瓶、カウンターの一隅には場違いな小さなタヌキの貯金箱、オープン前のひととき、ボクだけをライトが照らしている。
BGMは、まだ何もかかっていない。ロックグラスの大きさに合わせた丸い氷を削る音が、かすかに店内に響いている。水商売に入って半年経っても作れなかった氷を、今は無造作に作っている。氷を作っている自分は、カッコよく見えるんだろうなと…

時折、精神は身体を抜けて異空間に流れ込む。そして、心地よくボクだけが存在する。
「こんにちは」
「。。。」
「こんにちは」
陽子は、ためらいがちに何度もボクに声をかけた。昨日買ったばかりの服が、少しだけ肌に馴染まないのを気にはしていたが、、
初めての店、男が一人いて陽子を無視するかのように存在していた。
何度目かでボクは彼女を認めた。いや、精神はもっと前に気づいていた。異空間にはボクだけでなく、かなりキツめの香水が流れ込んでいた。
気がつくとシャネルの香水に店内が占領されていた。小柄な女性が一人、Barの入り口に立って、申し訳なさそうにボクを見ていた。
「こんにちは」
戸惑いの表情を隠そうと必死なのか。投げやりな言葉が、ボクの耳にラウドに響いた。
「いらっしゃい。あのう。あっ!渡瀬さんの知り合いですか。待っていたんですよ」
「こんにちは。陽子です。お芝居のチケットを買いに来たんです。売って頂けますか」
どこか甘えるような声音が、ボクを襲ってきた。
「あっ、座ってください。まだ準備中なんですよ」
「別に、飲みにきたんじゃないんです」
「そうですよね。じゃあ、ちょっとだけ待ってください。すぐに済むから…」
仕方なさそうに軽い微笑みをくれてボクの目の前に座った。カウンター越しに彼女の視線を感じた。
沈黙は、五分程続いて我慢しきれずに彼女は声を発した。
「いつまで待つんですか。私初めてなんですよ」
「えっ何が?」
思わず変な想像をしてしまった。彼女も自分の言葉に別の意味を考えて苦笑した。二人して声を出して笑った。

✴この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

地球の重力から逃れたら(2)

深圳 富士日本料理店があった場所

 

Episode 017

お店には、毎週発行する『富士ニュース』
を楽しみにする常連さんが沢山いました
あの頃深圳に住む日本人にとっては
話題が少なかったですからね
話題と言えば、
ゴルフか、大河か、KTVか!
誰それが、ホールインワンをやったとか、
今年の大河は、面白くないねとか、
〇〇商事の総経理が、西武の最上階にあるお店のNo. 1と付き合ってるとか

そんな環境でした

宗さんは、見た目がやっちゃん風で
一人で何度か店に来てくれてましたが
この人には声をかけてはいけない
と思い込み接客をせずにいました

ある日宗さんに声をかけられました
「この新聞面白いね」

お名前を尋ねると
名字が『宗』で、五島列島の出身
関西外大で語学を学び
貿易の会社に勤めている会社員でした

そのお話を聞いても
会社員には、見えなかったですが

それから付き合いが始まり
女の子のいるKTVに行ったり
僕が得意だったボウリングに行ったり

2004年6月に彼が上海に移ったら
その1ヶ月後に僕も上海に移り住み
2005年6月に彼が深圳に戻ったら
その1ヶ月後に僕も深圳に戻り
上海でも深圳でも
二人でよく暴れてました
(特に悪い事はしてませんが)

2006年
僕は、焼肉屋さんの店長として
再び上海の地を踏むことになります
宗さんとは、お別れです
出張で上海に来る時は、連絡が来て
食事に呼ばれ夜の街に同行しました
彼と一緒にいるのは、楽しかったですね

2009年に僕は、蘇州に移りました
2010年には上海に戻ります
その辺りから
会う機会が無くなりました
誕生日には、LINEでメッセージだけは送ってました

宗さんの会社の西本さんとは、
よく電話で連絡を取り合ってました

宗さんが癌に罹って日本で手術をしたと言う連絡が入りました
その後深圳に戻って仕事を始めたと

上海から深圳に出張で行った時に電話したら
あの頃の元気はなく
飲みに出るのも億劫な様子で

結局会えなかった
もう会えないのかと
なんか悲しかったですね


話は、元に戻ります

2015年11月30日深夜
急にお腹が痛くなる
耐えられない痛さが僕を襲って来ました
「宗さん!オレは、アンタに付き合って地獄には行かないよ」
どこまで付き合わせるんだと
マジに思いましたね

その夜彼は、天に召されました

その後も何度か同じ痛みが
数ヶ月に一回
忘れた頃にやって来ました
襲って来る痛みに耐えきれず
上海で病院に行くと
「胆嚢炎」と診断され
手術を受ける必要があると言われました
中国で手術を受けるのも心配だし
お金もいくら取られるかわからないので

2016年4月
大分の実家に一時帰国しました
別府駅で乗り換える時
プラットホームで空を見上げたら
上海の龍がいるような気がしました
あの上海の都市伝説の龍さんです
いつからか忘れましたが
龍は、僕の友人だと思ってました
もっと言えば、守護神‼️
オレの体を案じて上海から一緒に
来てくれたのかなと

市役所に行き保険証をもらい
病院で手続きをして
何日か後に入院して
手術を受け胆嚢を取りました

手術が終わり、ベッドに横たわる
麻酔が切れたのか、痛みが僕を襲う
オイオイ、龍さんよ!どうにかしてくれよ
と呼びかけたら突然

2016年4月14日午後9時26分
熊本地震発生

龍様が地震を起こしたわけではないと思いますが…
あまりのタイミングに
僕の驚きは、他の入院患者とは違ってたでしょうね


2017年11月には
西本さんと箕面にある宗さんの墓に参りました
2021年、2022年も
そして、今年も

「人生は、死ぬまでの暇つぶしや!」

宗さん!
人生を誰よりも楽しんでましたよね、
笑笑

地球の重力から逃れたら(1)

イメージ pixabay

 

Episode 016
今日は、お疲れモード
いやいや、いつもお疲れ様でございます

慣れては来ましたけど、
いまだに疲れますね
ポジティブな見方をすれば
いい運動にはなってるんですが…
仕事の話ですよ

今日も家に戻って体重を測ったら
69.4Kg
体重が70Kgを切るなんて
何年振りですか
僕の記憶では、2015年以来かな?

その当時、上海にいましたね
その年の前半は、最高重量85Kgだったと記憶してます
地球の重力を日々感じながら
生活してました
上海に中山公園と言う場所があり
そこに地下鉄の駅があって
2号線、3号線、4号線が通ってます
地下に駅のある2号線から、
高架を走る3・4号線に乗り換えるには
階段を100段ほど登らなければいけません
現在の状況は知りませんが
当時エレベーターもエスカレーターもありませんでした

「階段しかないなんて
誰も文句を言わないなんて
この国はおかしいだろう
お前ら正気なのか」

と、いつも心の中で叫んでました

そんな日常の中で
ふと
地球の重力から逃れたい一心で
体重を減らすことを考えました
(そんな奴もいるんだろうね⁈)

それで食事療法を始めたら
何ヶ月か後に70Kgを切りました
食事療法と言っても、
食べないだけなんですが

その後が大変でした

胆嚢炎に罹りました

初めて激痛が襲って来たのは、
2015年11月30日でした
その日友人の西本さんから連絡があり
西本さんの会社の宗さんが危ない
と言う知らせでした

宗さんとは、2001年広東省深圳で知り合いました
僕は、Episode8、9でお話しした
富士日本料理に勤めていました
そのお店で
前の店で知り合った下村さんと
『富士ニュース』なる読み物を
週に一回発行してました
下村さんは、
香港の某有名運送会社の総経理をやられていて、
人の良さそうなオーラを出していて
大柄で豪快な方でした

その昔時事通信社に勤めていた方で
スペイン語は堪能で
南米でのお仕事の経験もあり
新聞記事を書くのは慣れていらっしゃいましたが
途中から編集校正は、
僕がやることにしました

中国でそういった類のものを扱うには
話題や言葉を慎重に選ぶ必要があります
普通の街に見えても
普通の人々に見えても
やはり、共産主義社会
どこからヤリが飛んでくるかわかりません

チクられたら大変なことになります

下村さんに作って頂いた初稿には、
触れてはいけない話題
使ってはいけない言葉が存在してました

スパイ容疑で捕まった日本の方が、今年もいらっしゃいましたね

to be continued.

追記
昨日は、12pから26pまで読んで寝ました
4時を回ってました
今日は、これから読みます

宣教師アルメイダとの縁。

wikipediaより


Episode 015
今日から読書をすることにしました

実は
前に買った本を読みかけのまま
本棚に放置しているんです

何冊かあるのですが
今日から読む本を紹介します
『アルメイダ神父とその時代』玉木譲

宣教師ルイス・デ・アルメイダのお話です
大分県の人は、皆んな知ってるかな⁈
県庁の前の遊歩公園
手術を行うアルメイダの銅像があります

そして、大分にはアルメイダの意思を継ぐ
『アルメイダ病院』があります

彼は、大友宗麟時代の宣教師ですが
医術も心得ていました

大友宗麟をご存知ですか?
大友宗麟は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・キリシタン大名
織田信長の時代ですね

さて、何故僕の家にこの本があるのか
この本は、2022年11月30日に発行されたばかりです
たまたまネットでその情報を得て
すぐに河原町のBALの地下にある
MARUZENに向かいました

僕が学生の頃よく利用してた本屋さんです
でも、2005年に一度閉店してるんですね
その頃僕は、中国にいましたが
そして、2015年8月31日に再オープン!
その頃僕は、中国にいましたが(笑笑)

無駄な話が多すぎるとお怒りの方がいそうなので、話を進めます

2016年9月16日に日本に戻って来た僕は
京都の祇園のBARで働きます
バーテンダーの仕事です
2017年11月で京都での生活にピリオド
故郷の大分に戻ります

タイミングよく
翌年の2018年は、大分県国民文化祭が行われる年だったんです
その行事の一つに
市民ミュージカル『宗麟の海』が催されました
僕は、そのオーディションに呼ばれ、
宣教師アルメイダを演じることになるんです

演じるにあたって
アルメイダの人物像を研究しようと本を探しましたが、どこにもなく
市民ミュージカルが催される
ホルトホール大分の図書館に行きました
一冊だけありました
その本の内容は、僕的には物足りなかったですね
情報が少ないと言うか

セリフの言い回しを自分で考え、キャラ作りをして演じましたが
アルメイダをもっと知りたいと思う願望は、自分の中に残りました

実在の人物ですし
乳児院を建てたり、病院を建てたりもしました
尊敬に値する人物です

市民ミュージカルは、
2018年10月7日、8日に催されました
2部構成で休憩時間もある舞台で
休憩が終わって、後半の舞台はと言うと
宗麟役の観月ゆうじさんと僕が舞台の中心にいて
僕の長台詞で始まるんです

ミュージカル「宗麟の海」案内

完全燃焼とまでは言えませんが
充実した日々を送らせてもらいました
母親にも僕の舞台を初めて見てもらいました

その後僕は、故郷を後にして
2019年2月13日から
東京で生活します
上野御徒町でカフェのキッチンをやり
11月から銀座でバーテンダーをやり
ところが、2020年4月6日
銀座の店は、クローズになります

コロナの影響ですね
銀座にあるほとんどの店が閉まるんです

そして、二日後
故郷大分の施設にいる母親が
誤嚥性肺炎になってしまう
このままでは、母親の命に危険が及ぶ
急を要して、近くに住んでいた従姉妹のお姉さんが
病院に電話するのですが
どの病院も受け付けてくれません
その時に救ってくれたのが、
アルメイダ様でした

アルメイダ病院が受けてくれたのです
それで母親は、一命を取り留めました

不思議な展開です

 


今月中に読むことに決めました
本文は、12p〜381pの370p
今月は、三十日まで
計算すると一日に最低13pを読まなければならない

神が与えた試練、いや神が与えた贈り物か

大分市HPより

大分市医師会立アルメイダ病院HPより

 

狼は優しく眠れ。

カラーオブペイン野狼


Episode 014

キャスト
上園良一
チャイナワールドセクレタリー代表
China World Secretaries Ltd. 
華世秘書服務有限公司

✳1996年からお付き合いさせてもらってます


ブログを書くのに写真が必要なんですね
チャイナの話題も頻繁に出て来ますから


香港の友人上園さんに頼んで
写真を送ってもらいました

その中に香港・深圳に住んでいた方なら
必ず知っているビルの写真も

重慶大厦チョンキンマンション

香港の尖沙咀(チムサーチョイ)の彌敦道(ネイザン・ロード)にある
ビルの中には、800軒近くのゲストハウスとオフィス、居住エリアなどがひしめき合っている
ゲストハウスの価格は、日本円で一泊1,500円~2,000円⁈

僕も一度泊まったことがあります


2001年(香港)
「カラーオブペイン野狼」

に参加した時にその当時住んでいた深圳まで戻れない時間になって、一緒に撮影に参加してた若者に連れられて、一晩だけ利用しました

この映画には、
トリリオンゲームに出演している
國村隼さんも登場します
画面での絡みはなかったですが

僕の役は、ヤクザの手下役で
始まってすぐに主演の澤田謙也さんに
銃で打たれて死ぬ
役作りの為に布袋寅泰さんが出演していた
「新・仁義なき戦い」2000年公開
の本を買ってヤクザ世界を勉強しました

僕が演じることで意識したのは、
ヤクザには2種類の人間がいる
一つは、上を向いて天下を取る気でいる
もう一つは、下を向いて将来の事を考えずに生きている

僕は、一つ目のヤクザを演じました
すぐに殺されるんですが

撮影は、
チムサーチョイのホテル日航香港で行われ
四人の手下を従えたヤクザの親分が、フロントに立ち寄り、エレベーターに乗り、スナイパーの澤田謙也さんがいる階で降りる
僕は、先頭を歩きます
廊下を歩いていると
僕に銃弾が2発叩き込まれ死ぬんです

ホテルでは、歩くだけのシーンを撮影し
その次の日に
郊外の廃墟となったビルに行きます
その場所に昨日のホテルの廊下と全く同じ空間が造られているんです
何も知らない素人の僕には、驚きでしたね

現場で僕が着る背広の左胸の中に
血糊と爆薬が埋め込まれる
胸の爆薬に繋がれた導火線を見ると
数メートル先に
スイッチを押す人間が陣取っている

昨日と同じように廊下を先頭で歩く
さあ、一発勝負!
銃で撃たれたかのように火薬が爆発して
血糊が飛び散る
僕の着ている背広が破ける
後ろ向きに倒れ込む

実は、前の夜に悩みました
目を開けて死ぬかどうか⁈
練習してみたんですが、出来ないんですね

はたして、銃で撃たれ倒れてすぐに
目を瞑りました
撃たれて死ぬまでのヤクザの雰囲気はなく
死に顔は優しそうな感じで映ってました

その夜は、黃埔/Whampoa(ワンポア)に住む上園さんの家に泊めてもらいました

香港映画の巻でした
チャンチャン!!

優しい死に顔(笑)

 

タップダンスは踊れない。

映画.comより


Episode 013
木曜日は、タップダンス教室の日

すでに0時を超えているので
今日の夕方になりますが
バスに乗って
いそいそと出かけるのであります

タップダンスをやろうと思ったのは、
いつ頃からだろう⁈

誰の影響?
ううん、
やはり映画かな

1985年公開の『コットンクラブ』
主演は、オブコース!!
リチャード・ギア様なのですが
グレゴリー・ハインズのかっちょいい
タップダンスには、憧れましたね

日本だと
北野武監督の『座頭市
エンディングのタップダンスは、圧巻でしたね
そのシーンだけで、3分47秒

このエンディングをやる為に
この映画が存在するんだと
当時、勝手に思いました

勿論、1番の代表は、
雨に唄えば』ですね

小さい頃から
タップダンスの真似事を
よくやってましたね
結構、様になってると思ってました

ところがですよ
タップダンス教室に行き始めて
一年以上経ちましたが
恥ずかしい話、いまだに踊れていない

オレの出来が悪いのか
それとも、タップダンスって難しいのかな

体幹には、いいんですよ
爪先立ちになるんです
体のバランスが大事なんです

月3回1時間半
必死になって踊るんです
たまに汗をかいたりして
冷や汗ですかね⁈ 笑笑

この歳になると体が鈍って来ますから
定期的に運動するのは、
必要ですね

国民の皆様、特にお年寄りの方々
健康には、気をつけてください
今年の夏は、暑かったですね

✳お年寄り;僕も含む

人間をもっとも愚かにする罪。

イメージ pixabay


Episode 012
人は、間違いを犯す
己の出来の悪さは、よく知ってるつもりなのだが…

口の悪さも災いして
他人を傷つけることもある

過去にそのような失敗が、何度あったことか???

他人に好かれようとは思わない
違うな
他人を傷つけようとは思わない

でも、最近の若者を見てると
何か言ってあげたくなる
その方向は、違うんだよ
そのまま歩いて行くと
きっと落とし穴に落ちるよ

 

半世紀以上愚かな人間を演じてるジジイのオレが教えてあげるよ

映画『セブン』の中で
僕自身が最も意識した罪は

怠惰(SLOTH)

こいつが1番人間を愚かにする
「今やるべきことに集中しろ!!」

と…

 

いまだに怠惰(SLOTH)に操られている
オレの言葉ではないか?

 

⭐️読み足りない方へ
中国での生活史を付記します

チャイナエピソード002

世界観・人生観
2008年08月29日04:59

色々とありますが、最近は気分よく物事が運んでいるような気がします。考え方一つで人生の流れは変わるのかもしれないと思う今日この頃です。
人はみんな身体に『垢』をつけて生きてます。長い長い間習慣となった概念を抱えて生きてます。オレはこれをやるのが苦手だとか、挑戦する前からきっとうまく行かないはずだとか、努力すれば勝ち取れるものに対しても実行しないうちに諦めてることがあります。
最初に100の努力を考える必要はありません。10の努力でもいいのです。0と10の世界観はきっと違うはずです。10の世界を見ればきっと考え方が変わります。
20の努力をして20の成果が出れば世界観・人生観がもっと変わります。0から10が一番苦しいかもしれません。
でも、自分の欲しいものを手に入れることが出来ればハッピーになれるのです。

 

ハッピー!?
2008年08月30日19:41

物事がうまく行ってるとか、今はハッピーだとか考えている時は、目の前に落とし穴があったりしますから、気をつけた方がいいですね。
禍福はアザナエル縄の如しでしたか、昔の人はよく言ったものです。
いまは大丈夫ですね、軽い感じでうまく行ってるようなので、明日の成功に達するのはまだまだ遠い将来の出来事のようですから。落とし穴に出会うのも先のことですか。
北京が終わり、2010年の万博までに景気はどうなりますか、楽観論、悲観論、巷ではともに囁かれておりますが、料理店も飲み屋もちゃんとやってれば生き残れると思います。いつの時代も同じですね、地道にやればいいんじゃないですか。出費を抑えて、時代のニーズを冷静な目で見れば勝ち組になれますよ、、、