弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

Challenge in Shanghai vol.4 夢潰える

イメージ pixabay


Episode 042

柿安での5ヶ月に及ぶ戦いの幕が閉じようとしていた
戦犯は、オレではない
敗戦に加担したとも言えるが、

ホールもキッチンも主だったスタッフは、僕が連れて来た人間だった

ホールには、2004年僕が上海で店長として立ち上げた浦東の店で一緒だった、中国人"美恵"が、僕の右腕として働いていた
彼女は,浦東で日本人に1番支持されていた日本料理店『柚子』の出身だった

料理長は、日本人が見つからなかったので
やはり、最初の店で一緒だった、
"何清辉"を彼の地元の福建省から呼び寄せて久しぶりにタッグを組んだ

彼の給料は、中国人料理人としては、破格の一万元だった(日本円で15万円)
性格が温和で、見るからに優しい男で日本から出張で来る日本人料理人にもウケは良かった。
うなぎの蒲焼も生きた鰻をちゃんと捌いて調理する腕前があった。

キッチンの中は、日本料理部門と中華料理部門とに分かれていた
中華と日本料理のスタッフの仲は、あまりよくなかった
"何清辉"は、日本料理しか担当していなかったが、キッチン全体の料理長の立場にいた
中華の連中には上海人が何人かいて、地方出身の彼の破格の給料に不満を抱いていた

9月30日最終日、キッチンの中が騒がしい
何事かと見に行くと、
気の荒い中華の料理人が、彼と言い合いをしていて、手に包丁を持っていた
僕は、すぐに二人の間に入り
料理長をキッチンの一角にある事務室に叩き込んで、
中華の料理人にちょっとキツめの声量で
「你想做什么!?(オマエ、何をしたいんや‼️)」と声をかけた
包丁を持っている人間に近づいていった
相手は、苦笑いを浮かべて包丁をしまった

最低の終わりだったね
1996年3月19日から戦いが始まって
中国に住み着いて10年を越えていた
明るい未来は,またしても遠くに行ってしまった

柿安は、中国で僕が働いた最後の料理店になった
その後料理店で働く話は何度かあったが、実現しなかった


追記
『アルメイダ神父とその時代』(玉木譲)
は,27日に読み終えました
来月1日から
『時間の終わりまで』(ブライアン・グリーン)を読みます
今回は,530page、1日に17p読まなくてはなりません