弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

ブルーヘブンは、どこにもなかった。

イメージ pixabay

 

Episode 046

『公安ガサ入れ事件』の次の日、KASUMIに連絡を入れた
何も起きなかったと言う
彼女も公安に知り合いがいた
クラブのオーナーママには、公安との関わりは必要だった
その後は、彼女の店に行くことが増えた

98年も終わろうとしていた
その頃僕の中では、中国に別れを告げてもいいかなと言う思いがあった

中国にいる事に
何の希望も夢も持てなかった
もっと言えば、自分の人生に対しても

何が僕をそうさせたのか思い出せないが
時間の流れが僕の心を変えたのか
気がついたら、彼女と付き合っていた
(そんな話、誰も信じないよ)

そんな僕にKが、
アナタには新しくオープンする二軒目の店を任せるからと言って来た
私のパートナーになって店を盛り上げて欲しいと

結婚!?

外国人が中国人と結婚するには、
必要な書類があった

独身証明、収入証明、健康証明、パスポートのコピーなど

独身証明は、戸籍謄本を持って法務局に行き、ハンコを押してもらって、外務省に行き、ハンコを押してもらって、中国総領事館に行き、ハンコを押してもらう

余談になるが、
中国で知り合った日本人男性は、血糖値が高くて審査に通らず、血糖値を下げてから結婚した

大袈裟な言い方だが、人生に目的を失っていた僕は,躊躇することもなく
お世話になった日本料理店を辞めて
女の子に囲まれたクラブでの仕事を選んだ

日本人のお客さんの接客が主な仕事だった
勿論、主役は僕でなく、ホステスだったが
居心地は,それほど悪くなかった

当たり前のように
彼女の家で同居していたが、
まだ結婚をしていなかった
結論が、僕の中で出ていなかった
正直なところ、彼女に対しての愛情も持ち合わせていなかった
運命に流されるままに生きてるだけだった

99年の春、僕は深圳から逃亡した
中国に行く前にバンドを組んでいた吉田君の住む高槻に
彼が、阪急駅の近くにカラオケの店を開いて、僕は,そこで店長をする事になった

久しぶりの日本での生活、
僕に対してウェルカムな日本を想像していたが、それほど甘くはなかった
日本に戻ってすぐにスクラッチの宝くじを2,000円購入して10万円は手にしたが

日々生活する中で
社会からの疎外感を感じたりもした
時代が、僕を必要としていない
仕事は、それなりに頑張ったが、
売り上げは、満足のいくものではなかった

どこへ向かえばいいのか、悩んではいたが
誰も教えてくれなかった

高槻で半年間働いて
Kに中国に呼び戻された
三軒目の店をオーブするから
戻って来てと連絡が入った

お店の名前は、僕が決めた
『ブルーヘブン』
どこかで聞いたような名前だ

僕は,二軒目の店で働いた
一軒目の店にも、二軒目の店にも、三軒目の店にも
前に付き合った女の子が働いていた
(オイオイ、ドラマじゃないんだから)


99年の終わりに日本で書類を用意して、Kの故郷に行き、結婚証明の写真を撮り、役場で結婚の手続きをした
深圳の布吉にある新居は、彼女が購入した
結婚当初から夫婦仲は,うまくいってなかった

結婚一年目で別居していたが、
友人みたいな関係で、連絡は取っていた
2004年に上海で仕事を始めた時は、
Kも深圳から出て来て、僕の家に居候していた

一緒にご飯を食べることもなく、
僕は、一人ベッドルームに寝て、
彼女は,外の部屋のソファーで寝ていた
まさに、家庭内別居状態だった

半年くらいしたら、他に部屋を借りて出ていった
たまにお金がないからと僕に連絡が入った
何度か、お金を融通した

2005年に深圳に戻って、
新しい彼女が出来た時も
それとなく話したが
別に怒ることもなかった
そう言う男だと彼女も理解していた

 

2007年10月に話は,戻るが

10月のある日、
KASUMIから電話が入った
離婚の話だった

Kは、浙江省衢州の出身で、僕も何回か彼女の実家に顔を出した
離婚をするには,彼女の実家に行かなくてはならない
「ねぇ、慰謝料は,いくらくれるの?」
「いくら欲しいんだ」
「7万元(日本円で約100万円)」
「オレ金ないのは,知ってるよね」
「じゃあ、7千元(10万円)でいいわ」

無職の僕は,何日か後、浙江省に出向いた
上海から高速鉄道で2時間の距離だ
Kのお姉さんが運転する車で、駅まで迎えに来てくれた
役場で離婚の手続きをする
役場の人間が
「オマエたち、仲が良さそうなのに何で別れるんだ」
するとKが
「性格が合わないの」

手続きが終わると、レストランに向かった
最後の晩餐ではないが
お姉さん夫婦が待っていて
一緒に食事をした

帰りは,お姉さんが一人で僕を送ってくれた
「時間があったら、またおいでよ」
イヤイヤ、、
アナタの妹さんとは離婚したんですが
離婚後もたまにKから連絡が入った

それ以後、会うことはなかった


to be continued…