弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

出会いと別れと。

イメージ pixabay


Episode 047

KASUMIとの婚姻関係は、終わったが、
中国での戦いは、まだまだ終わりそうになかった

柿安を辞めて1ヶ月もしないうちに仕事が見つかった

次の仕事は、
知り合いの藤田さんが経営する
『遊s Bar』の店長職だった

今回の物語のゲストは、藤田さん
彼との出会いについてお話しをする

2000年に深圳にいた頃、深圳の東門エリアに茂業デパートがあって、8階に『東門』と言う名のレストランがあった
オーナーが,今回のゲスト藤田さんだった

その時の僕の置かれた状況を話すと長くなるので、、
そうなんだよね。
2000年の初めだから、僕はKと同じ家に住んで結婚生活をしているし、
だから、まだ別居もしていない
僕は,彼女の経営するクラブの2号店で働いていたし

シンプルに説明すると
Kと二人でお店をやる事に色々と問題が生じて来て、パートナーの立場ではあるけれど、彼女がオーナーで、僕は,ヒモみたいな存在で、このまま夜の世界に居るより、料理店で働く方が将来的に良いのではないかと、
クラブに来店する日本人客も
公にしてない僕らの関係を怪しく思う人もいたりして、客観的な見方をすれば、お店の営業に僕は邪魔な存在だったような

そんな事情を抱えていた僕は、
レストラン『東門』の存在を知ってお店に向かった

日本人が関わる和食の店はあったが、
ファミレス的な店はなかったので、面白いなと思った

サンプルケースの前で立っていると
少し強面の恰幅の良い日本人が現れた
ヤクザの世界だったら、幹部クラスのオーラが漂っている

お店の中に案内され話を始める
唐突に切り出した
「あのう、
僕を雇ってもらえませんか」

自分のプロフィールを話し
嫁の経営するクラブの話も出して
深圳では、僕は有名人なんです
知り合いもたくさんいますし、

長居はしなかったが、
僕達は、異国の地で戦う同志ですね,みたいな会話になって悪くない感触だった

後日連絡するからと言われた
数日経っても連絡が来なかったので、
こちらから連絡した
迷っていたみたいだったが、2月から働く事になった

ハンバーグを代表するファミレスメニューだったが、僕の提案で居酒屋風のメニューをかなり増やした
日本人のお客さんは、徐々に増えた
商工会のボウリング大会の二次会もやってもらった
Episode27に登場したツムラの河村さんと出会ったのは、このお店だった
そうして、僕はそのお店で2000年の終わりまで働いた


藤田さんとは、その後も、関係は途切れずに連絡を取り合っていた
上海『遊s Bar』は、奇しくも僕が上海に初めて足を踏み入れた2004年にオープンした
僕が働く日本料理店は、黄浦江を隔てた浦東にあったが、何度かお店に寄せてもらった、藤田さんも何度か僕の店に来てくれた

『遊s Bar』は、高級店で僕みたいな貧乏人が頻繁に通える店ではなかった

日本人女性が、席に着いてお話をする
隣に座ることは決してない
至って健全なお店だった

2004年の店のオープンからずっとタッグを組んでいた店長が、自分でカフェを開くので辞める事になり、
僕の方に誰かいないかと
タイミングよく連絡が入った

それなら僕がやりましょうかと
すんなりと就職先が決まった

 

Kとの離婚は、成立したが
YYと結婚すると言う流れには、ならなかった
僕と結婚する考えは、彼女にはなかった気がする
そうでもないか!?
深圳にいる時、周大福で婚約指輪を買った
そんなに安くはなかった
YYは、嬉しそうに笑ってた
あの指輪は、どこに消えたのか?


2005年
深圳に戻らなかったら、
彼女と出会うこともなかった
彼女は、一度僕の前から姿を消した

2006年
僕は、5月から上海にいて、彼女は,毎月飛行機に乗って会いに来た
上海には行けないとメッセージをくれた彼女が、最終的に上海で僕との同棲生活を始めた

2007年 2008年
游’sで働いていた頃は、彼女の行動に振り回されて悩んだりもした
他の男性の存在を何となく感じていた

2009年
僕は、蘇州にいて
彼女は、上海にいて
一緒には生活しなかった

4年間付き合って、3年近く同棲して
2009年の暮れに別れた

彼女の最後の手紙には
「你想我的时候、我也想你」
と書かれていた

「あなたが私を想う時、私もあなたを想ってるよ」