弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

ボクの人生、クライマックス。

イメージ pixabay

 

Episode 020
宗教めいた話になりますが

人って、皆んな悩んで大きくなったと言うか
紆余曲折の人生、
曲がり角ばかりに遭遇される人もいらっしゃいます。
突然目の前に急な上り坂が出て来たりして
アナタの大好きな落とし穴も
いやいや、生きるって本当に大変です

僕は、20年間中国にいて
26も職場を変えました
簡単に計算すると9ヶ月ちょっと過ぎると
他の場所にいることになります

前半は、日本料理店の店長として
オーナーの違う店を渡り歩いて
2006年からの後半は、上海、蘇州で
焼肉屋店長(120席)→上海柿安店長(480席)→ガールズバー店長→デパ地下飲食店7店舗の管理責任者(蘇州久光)→上海万博に卸す食材の倉庫責任者→食品会社営業→貿易会社総経理→スーパー店長→……

日本料理店では、現場の日本人は僕一人、部下は、全て中国人
毎日中国語で会話する環境です
どこまで通じていたか分かりませんが

ちゃんとした中国語を習わずに中国へ行ったものですから
最初の一年は、ほとんど喋れなかったですね
ホールで一緒に働くウェイトレス達に
毎日のように
なんて言うんだ 怎么说?
なんて書くんだ 怎么写?
と聞くわけです
そんな風に習ったので
発音は、今でもいい加減なものです

広東省深圳に10年住んでいたせいか
上海で出会った中国人に
広東訛りがあるよね
と言われたりもしました

1996年深圳で一緒に働いた
ウェイトレスの給料は、日本円で1万円
たまにマグドナルドを買ってあげると
皆んな喜んでました
彼女らは、会社が用意した宿舎に住んでいて、賄いも出るから
給料は、ほとんど田舎の親に送ってたみたいです

その当時は、携帯電話も無かったですし
いや、あるにはありました
金持ちしか持っていないビッグなモトローラ
通信料金が、とんでも無かったですね

あの頃の僕は
毎日何を考えていたのか
日本人僕一人しかいない職場環境で
部下である中国人を統率する
拙い中国語で指示を出す
日本人代表みたいな立場でした

上海柿安の店には、中国人スタッフが100人いました
1ヶ月の家賃も管理費込みで約1,000万円
僕は、途中から入社したのですが、オープンから一年でクローズしました

そうでした
今日は、宗教めいた話をするんです
僕は、一人っ子でワガママに育ちましたから、他人の事をあまり考えずに行動してました
小さい頃は、自分が持ってるお菓子を人に分けることが出来ませんでした
美味しいものは、自分だけで食べるみたいな
そう言う行動が目立っていたからか
小学生の頃は、いじめられました
一時期暗い日々を送ってた気がします

大人になってからも色々とね
何故か、ついつい目立ってしまう
すると横槍が入る
オレは、悪くねえよ
なんて考えてるんです

 

でも、人って変わるんですね
今の僕のモットーは、
『人のために生きる』

他人が喜ぶ事をやりたい
自分自身は、損をしてもよい


瀧口宥誠Yujo Takiguchi
先生も書かれています
『人のために生きればいい』

この本を読むと楽になります

他人は、他人
皆んな自分の考え方を持ってます
性格の悪い人もいます
パワハラモラハラをする人もいます
そう言う人に世間常識を伝えても
理解してくれない

こんな人がいる職場は、嫌だ
と思っても
辞めることもできない

どうしましょう!?

難しい問題ですね
でも、理解してもらえなければ、
ずっと悩むしかない
ストレスを感じて仕事するしかない

懸命に働きましょう
自分に与えられた仕事に誠心誠意取り組みましょう
他人は他人です
お互いを理解する事は、不可能です
逃げなければ、いつか明るい未来が来るかもしれません

今の僕の仕事場は、
スタッフのほとんどが
今年大学に入ったばかりの少年少女です
彼らは、世間には慣れてません
でも、彼らは一生懸命仕事に取り組んでいる僕を見て
真面目に仕事をやってます
時折、冗談も言い合って
すごく楽しい職場環境です

僕の人生もクライマックス

ありがたい事に
幸せな日々を送っています