弥山凌ハーフロックタイム

〜凌の気ままな日常〜

ウイスキーをハーフロックで グラスにウイスキーと水を半々に注ぐ 度数も下がって程よく酔っ払う そんな気分で… いくつになっても夢追い人、演者 弥山凌(ミヤマリョウ)の、取り止めもない、よもやま話を今夜も聞いてもらいましょう。

百日行の奇跡。

Episode 064

全ては『百日行』から始まった

2010年から現在まで
僕が手にしたEpisodeは,
『百日行』と言うヒラメキが無ければ、
何も起きていないかもしれない
 
腹筋を鍛えると言う行為は,
舞台に立つ為の準備だったかもしれない

そして、地下鉄の中で思いがけず、
目の前に飛び込んできた『mishandling』
が意味するものは,何だったのだろう

劇団上海アパッシユの存在は,
萬蔵(ばんくら)のkskから聞いて知っていたが、アパッシユと言う看板に近寄ろうともしなかったし、自分が上海で舞台に立つことなど、、
夢にも思っていなかった

僕の行動を見れば、ポジティブな人間だと思われるかもしれないが、
物事に対して慎重で、引っ込み思案な性格の一面を持つ人間だ

だから、W杯テレビ観賞での出会いがなかったら、、
劇団上海アパッシユに参加することもなかっただろうし、アパッシユに参加して演技を学ばなければ、芝居に対する真摯な姿勢も情熱も生まれず、演者としてのスキルも向上することなく、
日本にいた頃の出来の悪い役者のままだったと思う
今だって、独りよがりの演技力しか身に付けてないかもしれない
まあ、それは今後の課題でもありますが、


2011年から3年連続で行われた、
年に一回の公演で得たものは,
演者としての自覚であり、演者としての自信でもあった
公演のポスターには、毎回『弥山凌』の名前が刻まれ、確かに僕は存在したのだ

いつの頃からか、僕は,演者として生きることを欲すようになっていた
だからこそ、劇団の事情で、そのチャンスが無くなり、上海にいる意味がなくなったから、、
それが全てではないが、日本に戻ることにした


その後の行動について、簡潔にお話しする

2016年に日本に帰って、京都で働き始めてすぐに、劇団や事務所の情報を手に入れようと動いたが、
僕を必要とする劇団も芸能事務所も見つからなかった

2017年に大分に戻り、その翌年友人の紹介で事務所に所属する流れになり、台湾でテレビドラマに出演し、映画にも出演し、別の友人のルートで舞台にも立つことが出来た

2019年には,事務所の働きで東京に進出、準主役として新宿で舞台に立ち、
NHKの再現ドラマにもちょっとだけ顔を出し、CM撮影も経験した

全ては『百日行』が生み出した奇跡だ

to be continued...

2023・10・20 深夜記す